*15の夜*
読者諸君は”尾崎 豊”の”15の夜”という曲を知っているだろうか?
有名な曲であるから、殆どが知っているだろう。
実は総帥こと私はこの尾崎 豊とは同じ北千住の住民である。
しかしながら、特に好きなアーティストな訳でもなく、
別にアルバムを買って聞いたりした訳でもない。
しかし、あの”15の夜”は私の過去と似通っていた為、好感を持っていた。
特に
盗んだバイクで走り出す
行き先も解らぬまま
暗い夜の帳(とば)りの中へ
覚えたての煙草をふかし
星空を見つめながら
自由を求め続けた 15の夜
という、サビの部分などはそのままである。
最初から順を追えば、
当時まだ小学生だった私はただ単に小学校2年の時の
知能テストの結果が学校で一番だった(エッヘン!)というだけの理由から
両親に将来を(大いに)嘱望され中学受験の為の塾に通っていた。
しかし、当時の私にとって勉強などというものは単に親が喜ぶだけのモノだった。
さらには塾の教師は贔屓の嵐で”ちょっとカワイイ女”というだけで
あからさまに特別扱いをしていた。
今となっては私にもその気持は痛いほどに良く理解できるが、
当時は反抗心を掻き立てる材料だった。
そんな教師に対して”聖なる闘争”と題した報復を試みた私は
二人の友人たちと一緒に教師が吸っていた煙草に悪戯を施すことにした。
この時から私の不良人生は幕を開けたのかもしれない。
教師はいつも煙草をカートンのまま教室に置いていた。
我々は教師の厳しい監視の目をかいくぐり
”ジェットストリーム・アタック”並みの俊敏さでそこから一箱の煙草を盗み出すことに成功した。
そして塾の帰り道でその煙草の箱を開け、
中の一本を取り出し、その中の葉っぱを半分ほど抜き出した。
そして、そこに爆竹を埋め込み、その上からまた先ほどの葉っぱを戻した。
我々はそれを”ヤニ爆弾"と名づけた。
次回、塾に行くとまた教師の監視の目をかいくぐり、
今度はその細工済みの”ヤニ爆弾”を慎重にまたもや”ジェットストリーム・アタック”でカートンの中に戻した。
そして、教師がその”ヤニ爆弾”を吸うのを、今や遅しとWAKU、WAKUしながら待っていた。
しかし、教師は我々がいる間にその煙草を吸わなかった。
あるいは、我々がいない時に吸ったかもしれなかったが、
それから一週間が過ぎても教師は何も変ったことのないように平然と過ごしていた。
<あいつ、化け物か?>
我々の間には動揺が広がった。
口から僅か数センチのところで一発とはいえ爆竹が炸裂したら、
火傷くらい負いそうなものだ、少なくとも爆発の衝撃で唇くらいは腫れるだろう。
しかし、そんな兆候は一切見られなかった。
もしくは、その教師が元々タラコ唇だったのが我々の判断を鈍らせたのかもしれない。
<もしや、バレたか?>
我々は失意の底に追いやられた。
そう、それはまるで、初めてシャアに出会った時のアムロのように・・・
しかし、我々には落ち込んで過去を顧みている暇などなかった。
直ぐに今回の反省点を見直し、次回の糧とすることを誓い合った。
恐るべきポジティブ・シンキングである。
そして、二度目の闘争が始まった。
一度目と同じ過ちは繰り返さないように
今度は煙草に葉っぱを戻した後煙草にアイロンを掛けた。
もちろん、それは葉っぱを出し入れして
”次元煙草”のようになった紙の部分を真っ直ぐに伸ばす為である。
しかし、これがかなり難しい。
ひとつ間違うとアイロンの蒸気で煙草のヤニが染み出してしまうのだ。
そのため作業には半導体製造並みの慎重さを期した。
こうして何本かの試作品を製造し、一番出来の良かったモノを選び出すと
また、新たな煙草を一箱頂戴した。
まず、その箱の外装を底の部分から丁寧に剥がした。
次に、そこから一本煙草を抜き出し、そこに選び出した一本を慎重に挿しいれた。
そして外装を元に戻し、剥がした部分をドライヤーで熱して接着した。
現代科学の粋を集めた”ネオヤニ爆弾”の完成だ。
その後はいつもと同じようにその箱をカートンの中に戻した。
後は、期待を胸に”その時”を待つだけである。
しかし、結果は同じだった。
<何故だ?>
<あいつ、わかるのか?>
<絶対ニュータイプだ!>
<シャアめっ!(?)>
私は人生で最初の敗北を味わった。
何故か? ジオングには脚がなかったからである。(?)
とにかく、手元には数本の煙草が残った。
我々は気晴らしにその煙草を吸ってみることにした。
最初はただフカしていただけだった。
それでも、口の中が痺れたような気がしたが、
父親が吸い込んでいたのを思い出し、自分も真似してみた。
どうやら小学生の体に”ショッポ”(ショート・ホープ)はキツ過ぎたようだった。
吸い込んだとたん、喉の中に入った煙は私の粘膜を”エルメス”のビットから放出されるビームのように攻撃した。
暫く、咳と涙が止まらなかったのは云うまでもない。
それは、親友のシャアに裏切られたガルマの断末魔の悲鳴にも似たものだった。
その晩は頭痛と吐き気で朝まで眠れなかった。
しかし、自分が少し大人になったような錯覚を持ったのも確かだった。
翌日も、そのまた翌日も煙草を吸った。
なくなれば塾から盗めばいい。
いつしか、報復や”ヤニ爆弾”のことはどうでも良くなっていた。
塾が終わって、帰り道。
くわえ煙草で乗る自転車は最高に気持ちよかった。
また、ちょうど当時思春期を迎えていた私は同じ塾の”セーラ”似の女の子とHな遊びに夢中になっていた。
簡単に言うと”B”って感じだ。
塾での勉強中、彼女と私の机は前後に位置し、
ちょうど教師からは彼女は死角になっていた。
それをいいことに私の左手と彼女の左手はいつも堅く結ばれていた。
休み時間にはトイレに行きKISSでお互いがニュータイプであることを確認し、
時々帰りに待ち合わせて暫くの間お互いの疲れた心と体を指と口とで癒し合ったのだ。(恥)
そんな生活で有名中学など受かるはずもなく、私は発進のときのカタパルト並にキッチリと受験をスベった。
親の目論見は音をたてて崩れ、私は公立の中学に進むこととなった。
それでも私の親は少しでもいい環境の中学に行かせようと、
都内でも学力が高いことで有名な公立中学に私を越境させた。
しかし、無駄だった。
どこの学校にも不良は存在したのである。
中学一年の二学期が終わる頃にはすっかり不良少年たちと仲良くなり、
煙草やカツアゲはもちろん街で盗んだバイクを何十台も墓場に隠して、乗り回していた。
二年の途中からは原チャリで車の波を掻い潜ってニュータイプの修練を積みながら、通学することも珍しくなくなっていた。
もちろん、夜にバイクで出かけて”15の夜”のように自由を求めていたのもこの頃であった。
とにかく早く大人になりたかった。
子供扱いされるのが我慢できなかった。
一個の人格として扱って欲しかったのである。
その怒りはまさに”ドズル”並で、事あれば”ビグ・ザム”で暴れ出しそうな勢いであった。
そして三年、もうすぐ受験である。
この頃にはもう、大人たちへの希望を諦めかけていた。
そして、”ア・バオア・クー”での最終決戦目前の戦士のように
日曜日も勉強ばかりの同級生たちを尻目に私とその仲間は日曜ごとに渋谷へと出かけた。
朝10時に明治神宮前の駅に待ち合わせ、そこから渋谷のタワーレコード前の吉野家へ直行だ。
一通り食欲を満たしたら、食後の”カルーア・ミルク”を飲みにHANDS横の地下のカフェ・バーへ
ほろ酔い気分で出てくると、センター街でナンパである。
しかし金もない中坊についてくる物好きなど、田舎から始発でやって来て靴に田んぼの泥のついた”フラウ”のような女くらいである。
けだるい午後の一時をゲームセンターで過ごすと、待ちに待った午後五時がやってくる。
すかさず、公園通りへと足を速め、当時人気だった”SUPER CITY”というカフェ・バーへと急ぐ。
当時の店のカテゴリー分けほど、いいかげんなものもないだろう。
カフェ・バーといいながら、この店は午後五時から午後七時までチュウハイが100円だったのだ。
ご多分に漏れずこの店も、見た目はカフェ・バーだが、中身は洋風居酒屋といった様相を呈していた。
しかし、一杯100円の魅力はあなどれない。
たっぷり二時間、チュウハイを堪能した後、ウイスキーの登場である。
実は我々は14歳にも拘わらず、この店でボトル・キープをしていたのだ。
見た目が妙に老けていた為、実際の年齢などニュータイプな店員でも気付かなかった事だろう。
ボトルこそサントリー・ホワイトだったが、ボトル・キープのカードを持っていることが一種のステイタスであった。
しかし、そこは金のない中坊らしく共同でのキープで、しかもキープ名は”DOWN TOWN様”!
思い出しただけで顔から火が出そうな名前だが当時はそれが格好イイと錯覚していた。
こうして、午後九時まで飲み続けると、真っ赤な顔を何とか戻すべく明治神宮前の駅までマラソンをするのが決まりだった。
これは、親に不必要な心配を掛けたくないという我々の優しさであり、
決して、証拠隠滅などという不純な動機によるものではなかったことは特筆に価するだろう。
この、受験によるストレス(あったのか?)発散の機会は
途中、「そろそろ止めよう。」という仲間を”ミライ”の如く説得しながら
ひとえに、私の希望で受験寸前まで続いた。
受験結果は皆が期待していた通り、”ブライト”のギャグ並に素晴らしいスベりっぷりであった。
ただ一人、私を除いては・・・
何故か、私だけが滑り止めとはいえ偏差値70近い高校に受かったのだ。
この時、私は自分が”シャア・アズナブル”であることに確信を持った。
誇り高きジオンの血は、その後暫くの間、仲間たちからの冷たい態度を余儀なくしたが、
私も第一志望の高校の二次試験(殆ど落ちない)で煙草を吸っていたところを見つかるという大失態を演じた旨を告げ、
また、仲間達も二次募集などで高校が決まると、以前のように飲みに行くようになった。
こうして、私の思春期は爽やかな想い出と宇宙空間に散らばる塵を残して終わりを告げて行った。
この後、高校に進学してからは自分が”悪魔(ギレン)”であることを再確認することが多かった為、
この時代が私にとっての最後の純粋な日々であった。
今でも”不良少年”のつもりの私は”15の夜”を聞くと当時の甘酸っぱい想い出がこみ上げてくる。
ただ、ひとつ違ったのは、
私にとっては13〜14の夜だったことだろうか・・・
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